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Timeless on My Playlist, Vol. 1

Deniece Williams が1976年に世に放った名曲「 Free」
そして私はガストよりデニーズ派、最も愛しているのはロイホである。
数多くのカバーが生まれたが、やはり決定打はデビューアルバム This Is Niecy に収録されたオリジナル。プロデュースを手がけたのは EW&FのMaurice White。音数を削ぎ落とし、余白ごと歌わせるような構えは、声そのものを楽器として信じ切っているからこそ成立する。
デニースの声は、技巧を超えて「祈り」に近い透明度を帯びている。
50年が経っても古びるどころか、時間に磨かれていく稀有な一曲。
私のプレイリストから外れたことは一度もなく、気づけば今日もヘビーローテーション。
流行でも懐古でもない、「いつ聴いても現在形」で鳴り続ける一曲。

私が最初に洋楽で脳天を撃ち抜かれた体験。それは、ファッションモデルでありアーティストのGrace Jonesが放った1983年のアルバム「 Living My Life」 だった気がする。アートワークを手がけたのは Jean-Paul Goude。
音もビジュアルも、佇まいまで含めて、すべてが洗練の塊だった。
リズムの芯を担ったのは、ハービー・ハンコックの「Rockit」 で音楽シーンに衝撃を与えた立役者、Sly & Robbie。
そして「Slave to the Rhythm」 は、1985年に Trevor Horn のプロデュースで結晶化し、この独特のグルーヴがやがて Washington, D.C. Go-Goを経て、ニュージャックスイングへと連なっていった。そんな流れを、私は今も確信に近い感覚で覚えている。
ちなみにこの曲のドラムは、後にGo-Goバンド E.U. で名を馳せる William “Ju Ju” House。音楽が文化へと増殖していく、その瞬間を、私はこの一連の作品から学んだのだと思う。

リアルタイムでビートルズを聴いていない私には、この The Brothers Johnson 版 Come Together が、原曲との最初の出会いに近い感覚だった。だからかもしれないが、この曲は私の中でロックの文脈では鳴らない。
これは The Beatles の名曲というより、Quincy Jones が設計し、身体に直接インストールされた“機能としての音楽”だった。
メロディを追う前に、まず腰が反応する。意味を考える前に、体幹が支配される。そうやって音楽と出会った世代にとって、この Come Together はカバーではなく、ひとつの完成形、あるいは別系統の正解だった。
時代を知らなくても、文脈を知らなくても関係ない。
鳴った瞬間に、身体が理解してしまう。それこそが、この曲が今も“更新されたまま”で在り続ける理由だと思っている。

Luther Vandross が1981年に放った 「Never Too Much」
デビュー曲にして完成形。これ以上でも、これ以下でもない完璧なバランス感覚を持った一曲。
収録アルバムは Never Too Much。プロデュースはルーサー自身。ベースには誰もが好きなベーシスト、 Marcus Miller。
イントロが鳴った瞬間、空気が一段明るくなる。跳ねるグルーヴと多幸感、その中心にあるのは圧倒的に信頼できる声。甘いのに重くない。踊れるのに品がある。80年代ソウルの入口として、これ以上完璧な一曲は存在しないと思っている。何度聴いても幸福感だけが正確に再生される。だからこの曲も、いつまでも現在形のままで、タイトル通り、決して Too Much にはならない名曲なんでしょうね。

Robert Palmer が1978年に放った 「Every Kinda People」
軽やかで涼しいのに、芯は驚くほど強い。ポップとソウルが自然に溶け合った名曲。収録アルバムは Double Fun。
リズムにはカリブの風、アレンジは都会的で洗練されている。肩の力を抜いたグルーヴの奥で、確かな歌心が静かに主張する大人の音楽で、少年時代の私に背伸びをさせ、大人のエロさを感じさせた。
押し付けがましさは一切ないのに、耳に残る。
穏やかな肯定感が、聴くたびに更新されていく。
だからこの曲も、今も夏に差し掛かる頃のプレイリストの中では涼しい顔をして鳴り続けている。

Chic が1979年にリリースした「 Good Times」
祝祭の顔をしながら、実はとても知的で冷静。
ディスコという言葉の奥行きを、一気に拡張してしまった一曲。
収録アルバムは Risque。プロデュースは後に天才プロデユーサーとして活躍する Nile Rodgers と Bernard Edwards。
Bernard Edwardsが弾くあのベースラインは、旋律であり、構造であり、思想そのもの。踊らせながら、音楽の設計図を身体に刻み込んでくる。
軽快なのに浅くない。楽しいのに消費されない。ヒップホップからポップスまで、後の音楽を静かに規定してしまった理由が、今も一音目でわかる。
だから Good Times は、過去形にならない。
鳴るたびに「いま」を更新する、永遠に現役で至高のグルーヴ。

T. Rex の1971年の衝撃 「Get It On」
鳴った瞬間に、理屈をすっ飛ばして身体に届く。ロックが最も官能的だった瞬間を、そのまま封じ込めた一曲。
収録アルバムは Electric Warrior。ソングライターは Marc Bolan。
ギターは粘り、リズムは前のめりで、言葉は呪文のように反復される。
技巧よりもムード、理論よりも衝動。その潔さが、逆に完成度を高めている。派手なのに軽くない。シンプルなのに薄くない。
時代を超えて鳴らすたび、ロックの原初的な快楽を思い出させる。
ちなみにこの曲は、Robert Palmer が在籍した The Power Station によってもカバーされている。80年代的な硬質さと筋肉質なビートで再構築され、グラムの妖しさは削ぎ落とされながらも、衝動の核だけは失われていない。

George Benson の1976年の名曲「 Breezin’」
急に景色が変わるけれども、もともと私はフュージョン大好き人間。
技巧は前に出ず、風景だけが静かに立ち上がる。
フュージョンが最も洗練された形で大衆と交差した、あの時代の瞬間。
当時のフュージョン・シーンは、速さや難解さを競うフェーズを越え、音楽を生活へ溶かす方向へ舵を切っていた。プロデュースは Tommy LiPuma。
ジャズの語彙を保ったまま、耳と日常にやさしく着地させる設計だった。
涼やかで、過剰じゃない。洗練されているのに、遠くない。
時にスーパーのBGMと見分けがつかないほど、邪魔をしない。
それでいて、確実に心情へ届く。この一枚は、フュージョンを「聴く音楽」から「共にある音楽」へ更新した。
ジョージ・ベンソンは言うまでもなくギターの名手だが、歌唱力も素晴らしい。彼のライブは日本で言えば北島三郎の歌謡ショーを見せられている錯覚に陥る。だから私はあえて言いたい。
ジョージ・ベンソンは、演歌なのである。


Donny Hathaway が1973年に残した Love Love Love。
声が歌う前に、感情が立ち上がる。ソウルという言葉が持つ深度を、静かに底まで見せてしまう一曲。収録アルバムは Extension of a Man
派手な展開はない。けれど、コードもリズムも、すべてが歌を支えるためだけに配置されている。声は力強く、同時に脆い。
その揺らぎごと、音楽として成立している。
甘さではなく、誠実さ。技巧ではなく、体温。
聴くたびに、愛という言葉の輪郭が少しだけ鮮明になる。
だから Love Love Love は、流行らないし、消えない。静かに、深く、人生のどこかに居続ける。それが、この曲の本当の強さなんだと思っている。


Chaka Khan が1988年に放った「 Love You All My Lifetime」
大仰な演出はないのに、感情だけが真っ直ぐ届く。
成熟したソウルが、静かな確信に変わる瞬間を捉えた一曲。
収録アルバムはThe Woman I Am
プロデュースはScritti PolittiのDavid Gamson。プログラミング独特のドラムとAbraham Laborielのベース、Wah Wah Watsonのギターが心地良い。
90年代初頭の洗練をまといながら、歌は過剰に飾られず余韻で語る。
その設計が、チャカの強さを際立たせる。ドラマチックなのに、騒がない。恋愛を「熱」ではなく「時間」で歌えるところに、この曲の深みがある。
だから Love You All My Lifetime は、人生のどこかで、ふと必要になる。
静かに効き続ける、長距離走のラブソング。

Lalah Hathaway が1990年に残した 「Heaven」
派手な導入も、大きな盛り上がりもないのに、最初の一音で空気が変わる。
静けさそのものが説得力になる、稀有なR&B。
そして彼女のその声は、あの親父がお袋だったらこんな声だったんだろうな、と思わせる。
収録アルバムは Lalah Hathaway。
声は前に出すぎず、伴奏に寄り添いすぎもしない。その絶妙な距離感が、曲全体に深い奥行きを与えている。
歌い上げないからこそ、感情が逃げない。
甘さはある。でも、媚びはない。
敬虔さすら感じさせる落ち着きが、この曲を単なるラブソングから引き離している。
Heaven は高揚ではなく、到達点。心拍が少し落ち着いたときに、ちょうどいい温度で身体を湿らせる。だからこの曲もまた、静かに、しかし確実に、プレイリストに居座り続ける。

Cherrelle が1985年に残した「 Everything I Miss at Home」
甘いのに、どこか距離がある。80年代R&Bが持っていた“都会の私信”のような質感を、そのまま閉じ込めた一曲。
収録アルバムは High Priority。
プロデュースは Jimmy Jam & Terry Lewis。
リズムは端正で、シンセは控えめ。感情を煽らず、整えながら前に運ぶ。この抑制が、曲の温度をちょうどよく保っている。
恋を“情熱”ではなく“生活感”として描けるところに、この曲の強さがある。だから Everything I Miss at Home は、思い出になりきらない。
夜の帰り道や、静かな時間にふと必要になる。
80年代R&Bが最も誠実だった瞬間のひとつ。この Cherrelle の質感は、同時代の Alexander O’Neal と並べて語ると、より立体的に見えてくる。
アレックスの声は肉厚で感情が前に出る。一方でシェレルは距離を保ったまま、感情を内側に留める。その対比が、80年代R&Bの幅を象徴していました。この両者を貫いていたのが、Jimmy Jam & Terry Lewis。
プリンスを筆頭に彼らが築いた Minneapolis Sound は、ファンクの血脈を保ちながら、過剰な熱を削ぎ落とし、都市の夜にフィットする温度へと整えた音楽だった。
Everything I Miss at Home は、その美学が最も美しく機能した一曲のひとつだと思う。

Janet Jackson が1993年に放った 「That’s the Way Love Goes」
声を張らない。盛り上げない。けれど、抗えない。R&Bとポップが最も成熟した形で交わった瞬間を、そのまま閉じ込めた一曲。
収録アルバムは janet.。
プロデュースは 引き続き、Jimmy Jam & Terry Lewis。
ミネアポリス・サウンドの文脈を引き継ぎながら、ビートはさらに怠く、低く、さらに静かに。感情を煽るのではなく、体温に寄り添う設計。
セクシーなのに、下品じゃない。愛を「高揚」ではなく「状態」として描いたことで、この曲は時代を一段先へ進めた。
だから That’s the Way Love Goes は、90年代のヒットで終わらない。
夜の空気のように、気づけばそこにある。
Jam & Lewis が磨き上げたミネアポリス・サウンドが、最も洗練された形でポップスに定着した決定的瞬間。
ジャネットは名曲ばかりで震えてしまう。

EN Vogue が1990年に放った「Hold On」
初めて聴いたのは、渋谷の J-Trip Bar。
「なんなんだ!?このビートは!」と、反射的に身体が反応したのを今でも覚えている。
収録アルバムは Born to Sing。
プロデュースは Foster & McElroy。
ヒップホップ由来の硬質なビートに、60年代ソウルのフレーズをサンプリング。新旧を縫い合わせながら、音は驚くほど前へ進む。
強いのに、乱暴じゃない。クールなのに、血が通っている。
コーラスは武器であり、メッセージは姿勢そのもの。
Hold On は、R&Bが90年代へ踏み出した確かな一歩。
クラブで鳴っても、部屋で鳴っても、輪郭が崩れない。
あの夜の違和感は正しかった。これは、時代が切り替わる音だったのだ。

Stanley Clarke と George Duke による Sweet Baby。
中学生の頃、貸しレコード屋で借りて擦り切れるほど聴いたアルバム The Clarke/Duke Project の中の一曲。
もう何千回聴いたか、正直わからない。
当時は理由なんて考えなかったし、何を歌っているのかも分からない年齢。
ただ、美しさと優しは伝わり、針を落とすと心拍が整う。
語りかけてくるように音が微笑む。超絶技巧の二人が、いちばん優しい場所で手を組んだ感じが、ずっと変わらない。
この曲は“聴く”というより、“一緒に過ごす”。
だから Sweet Baby は、記憶のBGMじゃない。
人生の中で、同じ速度で呼吸してくれる音楽。
何千回聴いても、擦り切れない、溝が減らないメディアが登場してくれて、ありがたいばかりだ。

Stanley Clarke の 「School Days」
この曲は、私が中学1年生の頃、音楽の入り口を一方的に決められた瞬間と深く結びついている。
ギターを弾いていた兄に、「何か楽器をやりたい」と相談した。
返ってきたのは理由でも選択肢でもなく、
「お前はベースな」。
そう言って渡されたYAMAHAの安いベースと、School Days。
「これ練習しとけよ、いいな」。それで話は終わり。
YouTubeも、解説動画もない時代。
レコードをカセットにダビングして、A面が伸び、B面が揺れるまで聴く。
指が追いつかないフレーズは、耳で覚えて、体で探すしかなかった。
何度も巻き戻し、何度も失敗し、「そもそもこれ誰なんだよ?」そう思いながら練習した。正直、優しい曲じゃない。
フラストレーションの溜まったベーシストがリードを弾きまくっている。私が知っているベースの役割ではなかった。
しかし、ベースが脇役じゃないこと。低音にも、前へ出る覚悟が要ること。
それを、理屈じゃなく日課として叩き込んでくれた。
School Days は、練習曲という名の通過儀礼。
あの頃に渡されたのは、レコードじゃない。
役割と、視点と、戻れない一歩だった。と今は良い話として解釈している。
今は、何でもすぐ辿り着ける良い時代だと思う。
それでも、擦り切れたカセットが教えてくれた執念だけは、どんな便利さにも代えがたい。
だからこの曲を聴くと、
上手くなった実感より先に、必死だった時間の温度が戻ってくる。
そして確かに、今は良い時代だ。